ちょっと書く事が溜まったのと、少し前進したのと、久々に何もやる事がない、ないしはやらずにぼーっと過ごすべき休みとなったので、ブログでいろいろ語りたいと思う。
前回のブログは、現在通ってる障害者総合支援法における、障害者向けの職業訓練施設における事件と、それに対する私の対応や想いだった。
おそらく前回のブログから1年近く経過しての更新になる。少し今年を振り返ってみたい。
今現在も就労継続支援A型に、利用者として通所している。
3月には妹がハワイで挙式をあげ、それで大ダメージを受けた私の腰は5月にはヘルニアが限界を迎え、手術、入院を経験した。
しばらく寝たきり生活だったため、A型にも通えず、体力は衰え、筋力は低下した。
そして前々回に書いたちょっとしたミスが入院の時期に発生して留年が決定した。
そこからは本当に大変だった。
毎週、週2回の筋力トレーニングとリハビリを整形で受けながら、7月にはA型に復帰、かつ大学の単位は順調に取り続けるという生活。
仕事をして、筋トレをして、午後後半と夜には勉学に励む毎日。
とても一言では説明出来ないくらい、自分とひたすら向き合う1年だったのではないだろうか。
やらなきゃいけなくてやってる事なんてひとつもなくて、やりたいからやってるんだけど、それでもそれなりの結果を出したくてやるから、
毎日「今夜は勉強するのか?ペースは間に合うのか?疲れてるが…」と。
実習科目を来年受ける事は出来なくなったが、肝心な勉学は随分出来た気がする。
社会福祉学的な視点。患者、利用者、クライエントの弱い所だけではなく、
残されたその人の強みに焦点をあてる、という視点。
これは私の利用者理解に大きな影響を与え、そしてA型という現場でそういう視点でみてみる。
すると実にいろいろなものがみえてきた。
福祉の世界にはピアサポートという考え方がある。
つまり患者や利用者自身が、仲間を支える、応援するという考え方である。
ああ、スタッフじゃなくても、専門職じゃなくても、応援していいんだ、そう思った私は
今年1年通して多くの人々を、できる範囲で応援、時にはした支えをしてきた。
時には利用者、母親、父親、友人、職場の上司、遠く離れた友人。。。等々。
それがうまくいった事もあったし、うまくいかなかったことも多々あった。
どちらかというと、多くはうまくいかなかった気がする。そんな甘い世界ではないと、思い知らされた1年だった。
少し専門的な勉強したところで、早々簡単に人を「支える」事も「寄り添う」事も出来ないと、それは本当によくよく分かった。
10月には転機が訪れた。
5月に手術を終え、6月には愛知に遊びに行って仲間に応援してもらった。その際良い巡り合わせがあるようにと、友人がパワーストーンをくれた。
その効果かどうかは全く分からないが、
大学時代の恩師が、10月に私と会って時間を作ってくれた。
私は注意深く時間は見ていたし、内容もよくよく話を聞いていた。
それはまぎれもない、心理面接そのものだった。
久々に会ったわたしにも、恩師は私に教えてくれている。これほど嬉しい事はなかった。
話はきっかり一時間で終わった。
だがその内容はあまりに残酷で、それでいて、教授のあつい想いも込められた内容だった。
教授の説明によるとこうだ
「まず私は精神の障害ではなく、心理の障害だから治療可能、なので薬を減らしなさい」
「2年後に心理職が国家資格化する、現在勉強中の精神保健福祉士は取得しつつ公認心理士をとりなさい」
「石川県には心理の仕事ないでしょ。愛知にたくさんあるから愛知に来なさい」
大雑把にこんな説明だった。
それは私のこの10年の多くを否定する内容でもあったし、教授の私に与えたミッションはあまりに高難易度であるのはすぐに分かったので。
すぐには返答出来なかった。
その後ひたすら模索する時間を設けた。
答えもすべてすぐには出さず、あらゆる可能性や、私に今出来るであろう事、その限界、
とにかく頭を使い、ありとあらゆる人に相談した。
そして1つの応え出した。
愛知には行きたい。
しかし決定的にも経済的な問題で、安易に愛知に行くとあっという間に破綻すると分かった。
なので順調をしっかりして、
愛知に行きます。
と教授に応えた。
で?
という話である。そこまででは今までと変わらない。現状維持。それも大切な事だが、私の人生において、現状維持などというものが許されるわけがない。少なくとも周りは許してはくれない、いや思い込みかもしれないけど。。。
ルートBを教授はちゃんと用意しててくれた。
今は障害者として、A型の利用者であるが、まずはそこのスタッフになるという内容である。
調べた所、資格には繋がらなさそうだが、まずは福祉サービス利用者から、一般就労に。
これは一見そうそう簡単に話は進まないかと思えた。
しかし、やはり状況は「私の現状維持」は求めていなかったのか。
所長にスタッフになりたいと相談したら、すぐにでも社長に話をしてみると。
12月。社長にスタッフになりたいと話したところ、「すぐにでもその話をすすめたい!」
という事になった。
正直意外だった。障害者がスタッフになるという事に免疫があるのか、もっと慎重になるかと思ったのだけれど。
自分の当たり前や常識なんて、人にとってみれば全然当てはまらないか、役に立たないという事なのか。
正式には来年1月すぐに社長や所長達とミーティングを行い、まずは利用者主任を経て、途中経過をみて、最終的にはスタッフに切り替える、という事で話がまとまりそうである。
加速度的に忙しく、辛く、そしておもしろい1年だった。
だがそれはまだ序章だという事が、おそらく来年で思い知る事になるだろう。
そしてそれが愛知に繋げれらるか、愛知に繋がればまたあの忙しい毎日が待っている。
最後に。
基本は「私がどうしたいのか」なのだが、
それは時として私にも分からないし、そうしたいと思っても、副作用というか、やると嫌な事、都合が悪いことも生まれてくる。
だが最後はやはり私がどうしたいのか、なのである。
それしか最終的な判断材料がないのだから。
その副作用こそ、知恵を絞って、足りなければ人から借りて、乗り越えて、
「こうありたい自分」を目指す。そうあるべきなのだと思う。
だが、これはあくまで私の人生は、であって
人によってはそうとは限らない。という事を
自分自身によくよく言って聞かせたいと思う。
いつもそこで間違えるから。
2015年、お疲れ様でした。
明日31日まだ仕事だけどね(º﹃º )フヘー